ぼやかせてくれ

大抵は杞憂ですよ、杞憂。
昔、小学校でこんな経験をしたことがあります。
当時は優秀だった私がある質問に対し、挙手で回答をし無事に正解したのですが、同時に手を上げていた友人が自分の方が早く手を上げたし、答えも同じだったと私に言ったのです。

私は友人の顔に泥を塗ってしまったと思い、それ以来引っ込み思案になりました。いや、全然間違ってないじゃん?何悩んでるの?と思われるかもしれませんが、私は人に恥をかかせてしまうことが怖いのです。無論、それが直接的暴力や言葉の刃になることを恐れてもいますが。
それ故にそこまで競争社会の中、1番になることだけが全てという思想に背を向け始めたのです。いや…努力しても一番になることの出来ない者のつらさというやつでしょうか?
どのジャンルにおいても天才的な方っていますよね。
自分が難解なものをすいすい解いてゆく人。
対抗するのに疲れました。見栄を張っても得るものはありませんでした。


最近、バスで体験したことがあります。
目的地は次の停留所。しかし、手前で多くの人が降りた。
乗っているのは歩くのが困難な老人たち。
次の目的地まで歩けば済む事だと私はそこで降りました。
案の定バスは次の停留所に停まらずに走っていった。
私は納得したが、もし次の停留所でバスが停まっていたら無駄だったろうかと悩んでしまった。
これは自己満足の類なのか、自己犠牲の類なのか分からないが……つまり
「自分が降りることによって、停留所に停まる分の時間のロスを無くせる」と考えたのです。もう馬鹿だとしか思えません。バスは停留所に停まるのが仕事です。乗る人もいれば降りる人もいます。いちいちそんなことに気を使ってどうするんでしょう。精神神経過敏症で死んでしまいそうですね。


もう一つは初めて免許とりに行った時。目的地の1個手前の停留所でボタン押して、実は次のバス停が目的地だった時。
私が押したと目撃している人がいるはず・・・
そう考えたらいてもたってもいられなくなり、1個手前で降りました。
大事なことは冷静さと大胆な判断力です。
私の優柔不断さ加減には正直自分が一番閉口しています。



何か色々無駄な事をしてきたなぁと懐かしんでいますが、自分が直さなければならないことばかりです。
想像以上に人は自分を見てはいないし、
そんなに恐れるほどに怒りもしないし、
実は意外と気にしてないのです。

でもそれが自分にはよく分かってません。
不思議なものです。
9割どこかで平気だと確信できても、残りの1割が首を振るまでは行動できないのです。
恩師は「石橋を叩いても渡らない」程の慎重派と私を例えましたが、自分はこれを「臆病者の無駄気遣い」と思っています。

人が恋しくて、嫌いで 争いが嫌いじゃないけれど、嫌いで
天邪鬼だけど素直な人間で 白黒つけたいけど中途半端になる

本当に疲れる人間だ。
生きにくい人だねぇ。
とりあえず、俺は病んでるようだからさっさと眠って疲れを癒せ。話はまた後だ。